【最期の言葉はどうする?】遺書を書いて気づいたこと。

おはようございます。

カズです。

 

 

 

突然ですが、みなさんは「遺書」を書いたことがありますか?

 

 

月曜の朝から何だいきなりと思われるかもしれませんが、いかがでしょうか。

 

 

おそらくほとんどの方は書いたことないのではないかと思います。

 

僕も書いたことはありませんでした。
ついこの間までは。

 

 

…というのも実は、CREA/Meにて「遺書を書く」という課題が出されていたのです。

 

なので、まだまだ死ぬつもりはありませんが、このたびはじめての遺書制作にチャレンジしてみました。

 

 

ところが、いざ書こうとすると、これがなかなか書き始められない。
誰に書こう。なんて書こう。どうまとめよう。…あれこれ考えてしまいます。
そして、経験したことのない「人生最期の自分」をトレースするのがとても難しいです。

 

 

 

悶々としてしまうので、ひとまず紙から離れて、なんとなくGoogleで「遺書」と検索してみました。
出てきた結果はやはり自殺に関するものが多く、ニュースで報道された遺書がたくさんあがっていました。

 

生々しさに胸が詰まりながら見ているうちに、気づいたことがありました。
それは、「(家族や友人などに)感謝している」けれど、最後は「辛い・苦しい」で締めくくっている人が多いということ。もちろん人によって様々なので、ざっと見た感じです。
感謝を上回るほどの辛さや苦しさ、その悲痛な叫びは、第三者には想像を絶するものだと思います。
ただ、せっかくこの世に生を受けて始まった人生がそんな言葉で終わる人生はすごく悲しくて…。
今回の課題は「いつかを想像して書く遺書」であり、「もう書かなくてはならない遺書」との違いをはっきりと感じました。

 

 

 

再び紙に戻り、少しずつ文字を書き足していきました。

 

人生を振り返りながら、家族をはじめ、これまで支えてくれた人たちに感謝を述べていくのですが、これがその人に伝える最期の言葉になると意識すればするほど「この人に対してこれだけでいいのか?」とか「これで今までの感謝が伝わるのか?」というような思いが生まれてきます。どこまでの交友関係の人たちについて書くのかも悩みました。

 

結局「最期」と思うとあれもこれも、となってしまうんだなと思います。
ただそれは、裏を返せばたくさんの人たちにたくさんの感謝や想いがあるということで、つまりは感謝に囲まれた人生だということを認識させてくれます。

 

過去のいろんな出来事や出会った人たちを思い浮かべてみると、今の自分がいるのは・今の自分でいられるのは、そのすべてのおかげなんですね。そう思うと、すべてに対して感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 

 

生きていればいろんなことがあります。楽しいことだけでなく、辛いことや苦しいこともたくさんあります。そんな人生のいろんな場面で、普段はなかなか感じられなくても、自分を支えてくれた人たち、愛してくれた人たちが確かにいてくれたのだと気づかせてくれました。
特に家族なんて生まれてからずっとですから、感謝してもしきれません。

 

 

ではその感謝は遺書にだけ書くのかといえば…違いますよね。
人生の最期に伝えるのではなく、生きている今、伝えられる時に伝えるべきだと。
それはつまり、今もこれからも、日々すべてに感謝を抱くということになります。

 

 

遺書を書くという非日常的な行動から人生を見つめ直すことで、今この瞬間に感謝することができ、日頃気づけないことに気づくことができました。
課題とはいえ、今回こうして遺書を書くことができてよかったです。

 

 

 

近年、高齢化社会により人生の終わりについてクローズアップされることが多くなってきました。エンディングノートをはじめとする、いわゆる「終活」という言葉まで生まれました。
時間をかけて老いていく年齢だけでなく、突然の事故や病気はどんな時代にだってあり、いつ何があってもおかしくはありません。それは10年後かもしれないし、来年かもしれないし、あと1時間後かもしれません。

 

ふいに人生の終わりを迎えることになった時、あなたは誰にどんな言葉を遺しますか?

 

ぜひ一度考えてみてください。

 

 

 


 

・人生に大切なことも学べる、“自分”をクリエイトする学校「CREA/Me(クリーム)」のサイトはこちらから→ CREA/Me

 

 

気に入ったらシェアお願いします!Share on Facebook0Tweet about this on Twitter0Pin on Pinterest0Share on TumblrShare on Google+0