陽の目を見なかった「没=ボツ」に漂う哀愁。

夜分の更新となってしましました、、、スミマセン。

当たり前だけど暑い。
暑くて坊主にはリアルに「日射病に気をつけよう」と警告がなる。

さて、先日東京の仲間でもある諸先輩方の新会社のロゴを創った際に、盛り上がった話。

ヒアリングして、想いを伺って、ロゴに起こしていく。
想いの吐き出した先にある究極のマーク、それがロゴってことになるのですが、どうしてもニュアンスの違いや自分自身の解釈の違いにより、いわゆる「没案」というのが出てくるのは、デザイン上ではよくある話。

もちろんだけど、使い回すこともできないので結局この「没案」達は、自分のパソコンのデータの容量を食う、単なる電子データの存在でしかなくなる。そしていずれ消えていく。。

感じた何かの相違はそもそも間違っているし、1発で落とせないヒアリングも問題もあるのだが、しかし!制作の瞬間はもちろん我が子を産み落とすかのように力を注いでいるのは間違いない!
だが最終はKB、MBの藻屑となる彼らが実は結構いる。

最終の決定ロゴなどのデザインを作る上で、経過していないと生まれなかったものもある。
ちょっと線が太かっただけで藻屑になった子達もいる。

デザイナー視点で見ると、彼らの存在はありがたいし、保護すべきではないか!
と妙な正義感にかられて、愛着がわく、最近。
(単なる対クライアントとのネタ話でもあるのだけどw)

いつか「没案デザイン展」も面白いなと思ったし、経過を見せていくのは実はデザイナーからすると少々嫌な気分を見られる感覚もあり、嫌なはずだが、俺はモノが生まれるプロセスを見せることも面白いんじゃないかと思う。

やりたいな、「没展」w

今日何点か没案達を見せようとも思いましたが、クライアント確認とる間もなかったのでまたそんなクライアントさんがいらっしゃったらこの場で展覧会したいと思いますw


Written by
Junya Mabuchi
(COPOCHARA Inc. Branding Manager)

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