先日同世代の友人とたまたまゲームの話になって、「ファミコンおもろかったよな〜」って話をきっかけに、色々と考える機会があったので、少し書き起こそうと思う。
この 15年の間にも、身近なものがどんどん進歩して今では当たり前になっているものが、少し前までなかったのがすごく興味深く、今や「あったあった話」になりつつある事。
先述のファミコンしかり、自分が小学生(馬淵は昭和57年生まれ)の時は、ファミコン全盛期。
カセットで当たったらバグったり、2コンにマイクが付いていたり(いまだにあれは1コンでやっている奴の妨害する以外の手段以外知らないw)。
小学生高学年くらいに、スーファミになり、桃鉄を毎日ヤマさんという友達の家に楽しみに通ったもの。
プレステが出た当時なんて、こんなボタンが多いコントローラー扱えるのかという心配はどこへやら、あっという間に子供特有の適用性により、難なく使いこなしていた時代。
今はプレステも4まで進み、もはやゲームの域はまるで一つの映画の様に完全に脱している。
連絡手段だってそうだ。
今はスマホが当たり前の時代。
子供時代はまだウチには、黒電話があった。
もちろん、連絡事項は向こうの親が大抵出て、「馬淵ですけど、○○君いてますか〜」。
片思いの好きな女の子にかけるなんて、そんなこと出来やしないので、ラブレターの文化もまだあった。
中学でポケベルが一部ヤンチャ組に普及、ベル番を公衆電話で連打する放課後。
(いまだに一部の暗証番号はベル番である言葉を指してしたりwww)
親の携帯(今の電話機の子機ほどのサイズ)を自慢げにもってきた友人は、先生に取り上げられていた。
高校生で、初の携帯ゲット(Tu-ka)。
iモードなんてある意味ステータスのようなもので、docomoの小エリア版のmovaなんてものもあった。
PDA、ブラックベリー、windowsフォンなんてものは変態扱いのなか、いまやスマホが当たり前。
いまや、誰がどこにいて、何をしているのか、手の中で全てが完結する。
5秒もあれば相手にメッセージを送れる。
ナビもつき、迷子になるという言い訳が通じないくらい、手の中の情報はあり溢れている。
あれがどうとか、使いにくいとか、マジクソなど、この10年から15年の進歩を見れば、それら新デバイスを日々開発している科学者やクリエイター達に、面と向かって言えるはずもなく、もはや感謝しかない。
時代はさらに進み、デバイスはどんどんコンパクトにシンプルになっても行くだろう。
新成人のパソコン所有者が2割を切ったそうだ。
また確実に新たな時代に入っていっている。
そして今後は家のセキュリティややハードごとスマホや手のひらで操れる時代はおそらく近い将来だろう。

ただ、一つ気になったこと。
それは対人とするコミュニケーション力が乏しくなってくることも事実。
「コミュ症」などいわれるが、ネットや画面を介すれば、言いたいことは言えるが対面した時にどうだろうか。
相手の仕草や目線、落ち着き。
それらを空気の中で感じ、相手に物事を伝えたり、聞いたりする。
どれだけ進歩したとしても、これらの能力は決して衰えさせてはいけないものだと自分は思うし、もし相手の気持ちがわかるデバイスが発明されてとしても、アナログな部分を失っては、行く末恐ろしいものがある。
きっと、少し考える間が大切。
こう思うかな?失礼でないかな?
気持ち伝わるかな?
一瞬で気持ちが伝わる時代だからこそ、ワンテンポおいて相手の顔を思い描いて、タイプを打つ。
いまや書いた言葉がテレビニュースで流れる時代。
街の掲示板に張り出されているのと同じ効果である時代に入った。
ネットリテラシーを教えてくれる機関は、今のところごく少ない。
なにより一番は自分の手で自分にしか書けない文字を書く。
デジタルな仕事に就かせていただいているからこそ、感じる大切なことに思えた最近です。
自分より先輩方は、さらに便利なものがなかった時代に生きて、でも何事もなく人間関係やコミュニケーションを当たり前にできていた。もっと学ぶことは多いはずだ。
最先端な技術の進歩を取り残されることなく、アナログなコミュニケーションを取る。
これから大切な事として心に刻んでいこう。
(とかく、こういうことを書いてたら今はまだご賛同いただける方も多いかと思いますが、「オジさんだね、考え古い!!チョベリバ!」とこれからの若者たちに笑われる時代がくることも確かである泣)
記:馬淵





